かっちりとした礼装に自然と背筋が伸びる。
黒の光沢のある生地を金縁で引き締め、深みのある赤の差し色を使った衣装。
腰を締めるコルセット様の太いベルトが女性特有の胸部の膨らみと腰のラインを強調させる。しかし、左肩から下げたペリースと太腿の中腹あたりから足を覆う革製のブーツが、強調された女性性を女性的なものではなく、その柔らかな印象を踏まえた上で、凛としたものに仕上げていた。
普段は持つことのない剣は、エミリーの細腕でも問題なく持てる程度の剣幅となっている。その形はレイピアに近い。
伸びた姿勢に視界は当然開け、その隣に並ぶ、色は異なれど役職は同じくする仲間へとエミリーは声をかける。
「こういった武器は私もあなたも普段持つことがないから、少し不思議な感じがしない?」
「あんたは、刃物を持つじゃないか」
白を基調とし、差し色は青の服を身にまとった男は、多少の無愛想さを含ませ、言葉をどもらせつつそう答えた。
幾度か言葉を交わしていれば、それがこの男の話し方と卑屈な一面からのものであることは理解でき、エミリーもそれを理解しているからこそ、アンドルーの言葉と態度に腹を立てることなく、眉尻を下げて微笑んで見せる。
「私が持つのはメスであって、用途も用法も全く違うものよ。長尺という点で言えば、あなたのシャベルの方が近いと思うのだけれど」
「そ、そんなことは知ってる。バカに、するな。分かって、言ったんだ」
白に近い顔色に、羞恥からか少しの朱色を混ぜてアンドルーはエミリーに噛みつき、すぐに顔を逸らす。
礼服を着てもアンドルーの猫背は変わることはなく、頭を重たそうに前方へと投げている。その視線の先には、鞘に収められた剣がある。
あら、とエミリーは自身が持つそれとは異なるものへと顔を寄せた。ぎょ、とアンドルーは両肩を振るわせる。
「お、い」
「私のものはレイピアのようだけど、クレスさんのものは違うのね。私のものと違って、幅も厚みもあるわ。よければ、持たせてもらっても?」
「だ、ダメだ。あんた、みたいな、」
ごく、とアンドルーは喉を上下させて唾を飲み込み、震える言葉を紡ぐ。
「私みたいな?」
「お、女に、僕の剣は、持たせられるか」
突きはなすようにしてエミリーにそう告げると、アンドルーは剣の柄を強く持ち直し、鞘へと押し込める。泳いだ視線が交わることはない。
ぐ、とその顎に強く力が加わっている様子をエミリーは横目で確認し、アンドルーが言いたいことをそれとなく察した。
「そうね。私にはこのレイピアも、取り回しには少し重いくらいだもの。あなたの剣は私のものよりも厚くて重いから、私が持つなら、剣の中央付近を持たなくてはならないわね」
「そ、」
慌てた、兎のような紅の虹彩がエミリーの視線とかち合う。
それを待っていたかのように、エミリーは穏やかに目を細めると、安堵させるように笑みを広げる。
「冗談よ。抜き身の刃物なんて持たないわ。心配してくれたのかしら。ありがとう、クレスさん」
「しっ、心配、なんか、す、するか。バカな、こと、言うな」
どもりつつも、しかし声を荒げることはしない。
圧倒的なコミュニケーション力不足の男であるものの、本質はそこまで捻くれてはおらず、他者を気遣う優しさを持ち合わせている。
棘のある言葉遣いで誤解を招きやすい男を、エミリーは持ち前の観察眼で腹を立てることもなく言葉を続けた。
「そう?どちらにせよ、同じ役職同士、仲良くしましょう。この衣装では敵同士だけれど」
「ぼ、僕はチェ、チェスなんて、知らない。そんなのは、金持ちの遊びだ。あんたみたいな」
そこまで口にしてアンドルーは口を噤んだ。
一度エミリーの顔を見て、そして視線を下へと落とす。自身の口から出た言葉が他人を傷つける類のものであることに遅れて気付き、しかし口にしてしまったことからどしたものかと逡巡しているのは明らかに見てとれた。
その様子に、エミリーは気にしていないと態度と言葉で示す。
「私とクレスさん、あなたは騎士。盾はなくとも剣一つで盤上を駆け抜け、味方を守ることができるわ。私もあなたも普段の試合ではどちらかといえば守りの方だから、攻撃側に回るだなんて、なんだか不思議な気持ちね」
「ま、ァ、あ、あ!」
エミリーの言葉に首を縦に振ろうとしたアンドルーの言葉は、非難めいた色を滲ませて跳ねる。
その手に携えていた剣は奪い取られ、鞘走りの音を響かせながら抜き身を晒す。白銀の刃は鏡面となり、アンドルーの手から剣を奪い取った男の面を映し出していた。
誰か、などと一目見ればエミリーには十分だった。
下がっていた眉は吊り上がり、先刻まで柔らかな空気をまとっていた声音は険を帯びる。
「何をしているの!彼に返しなさい!」
謝将軍。
黒の射干玉を揺らし、上機嫌に謝将軍は手にした剣を満足げに眺めていた。手首を返し、その握り心地を確かめる。
「実践用とは言えんが、まあ、良い部類だ」
「人の話を聞いているの。返してと言っているで」
しょう、と最後までエミリーの言葉を聞かずに、謝将軍はエミリーの手に持たれていたレイピア様の剣も軽々と奪い取った。
柄尻から先端へと目線に合わせ、その切先を見つめる。
「変わった形状だ。打ち合いには向かんな。柄で受けねば折れる」
「そんな心配は結構。私とクレスさんの剣で打ち合う予定はありません。もういいでしょう、返して」
跳んでも謝将軍が目線の高さに合わせたレイピアの柄には届かず、エミリーは手を出して、剣の返却を求める。
そこでようやっと謝将軍の、いかにも、いかにも鬱陶しげな、煩わしいと言わんばかりの、瞳がエミリーへと向けられた。金の眼球は、エミリーの頭の天辺から足先まで不躾に眺めおろし、そしてあからさまな溜息をこぼす。
「はしたない」
剣を返すでも、奪い取ったことの謝罪でもなく、軽蔑と呆れに満ちた言葉にエミリーは思考を停止させた。何も考えることができず、言葉をおうむ返しする。
「は、した、ない?」
「はしたない。見苦しい」
告げられた言葉の意味が飲み込めず、エミリーは伸ばした自身の手を矯めつ眇めつ見、そこから腕、肩、胸腹と視線を動かしていくが、発された言葉に該当するようなものは何もない。
きっちりと着込んだ礼服に、露出は顔と首程度しかなく、脇や胸、背中が開いていると言うこともない。生地は厚く、地肌が透けて見えると言うこともなかった。
「あなたが言っている意味が、わからないわ。私の態度を言っているのであれば、私のこの行動は正当なものよ。あなたが今持っている剣は、どちらも私とクレスさんに支給されたものであって、あなたのものではないのだから」
「お前の格好の話だ、虎」
格好の、と言われ、さらにエミリーは意味がわからなくなる。
指摘されるいわれはないが、指摘される箇所も思い当たらない。
「女だろうお前は。脚がそのようにわかる服を身につけるやつがあるか。普段の格好からして見苦しいと言うに」
「それは、」
それは、とエミリーは続けようとして、その険に満ちた表情の横に白絹が揺れるのを認め、安堵とともに肩を落とす。
傍若無人な男の、エミリーから見れば良識的な片割れである。
錫色の指先は、細身の剣を謝将軍の手から取ると、手首の返しでひと回しする。
「うん、俺には軽すぎるな。君にとっても軽すぎるだろう。将軍」
「軽い」
「そちらの剣であれば、ちょうど良いが少々短いな。俺に短ければ、君にも短かろう」
范将軍は相方へと手を差し出し、もう片方の手に持たれている剣を差し出すように動きで示す。
エミリーがあれほど言っても無視された言葉は、相方の一言で覆され、謝将軍の手に持たれていたアンドルーの剣は、范将軍の手に渡った。
く、と剣を持ったままの手が肘から曲げられ、上から下へと空気を斬る音を立てながら振り下ろされる。下まで降りた切先は、その位置から斜めに切り上げられるも、すぐにその軌跡を辿って切先は斜め下でぴたりと止まる。
「そちらの細剣より悪くはないが、まあ、うん。やはり少々短い。それに思ったよりも軽い。武器を選ばん場所ならば、十分に使えるな。だがなあ、君との手合わせには足りん」
だから、と范将軍は一度は手にした剣を謝将軍の手に戻す。
「返してやれ」
その言葉に、謝将軍の眉間に軽い縦皺が刻まれる。肌が粟立つ感覚に、エミリーは軽く下唇を噛んだ。二つの金が絡み合い、無言のまま、緊張の糸が張り詰められる。
少しばかりの沈黙の後、先にそれを破ったのは謝将軍の方だった。
傲慢な男であるが、この二人が揃えば、先に折れるのは謝将軍であるように、エミリーはどことなく記憶を探りながらそう思う。
抜き身にされていたアンドルーの剣は鞘に収められたのち、持ち主の手元に放り出される。宙に投げられたそれを、アンドルーは慌てて空中で掴み取る。
「な、投げる、な」
アンドルーはようやっと不満を口にしたが、それに対して謝将軍からの返答はなかった。
エミリーの細身の剣といえば、鞘には当初から収まっていなかったことから、そのまま切先を向けて戻されるのかと思いきや、エミリーの目の前には切先を返され、持ち手の部分を差し出されている。
「、ありがとう」
「とっととそのはしたない格好をどうにかしろ」
「はしたないなんて。それは、あなたの主観の話であって、」
「いいではないか」
「は?」
自身の横で発された言葉に、謝将軍は信じられないものを見るかのように目を見開いた。
うん、と隣で顎を指先で軽く摩り、范将軍は目をゆっくり細めていく。その視線はゆっくりと、服の上から、きっちりと着込まれたが故に明らかな体の曲線を生地の上から辿る。
肩から胸、胸から脇腹。コルセットベルトから骨盤の縁のライン。きゅっと締まった臀部と太腿の形がはっきりとわかるパンツライン。太腿の中腹から伸びた革靴は、腿裏から脹脛のなだらかなラインをあらわにしている。
じっくりと、舐めるようにそのラインの上を視線がじりじりと滑っていく。
肌の露出などほぼないに等しいのに、素肌そのものを見られているかのような錯覚にエミリーは襲われた。白銀の獣は眼前で喉を鳴らし嗤っている。
「いい、なァ」
舌舐めずりのような声の隙間に、白い犬歯が覗く。
呼吸の仕方を忘れかけた一瞬、エミリーの視界に青の裏地のペリースが舞った。少し離れた後方に位置していた騎士が、眼前に跳ぶ。
「ぶ、不躾、だ。人の体を、そんなふうに見るな。あんたの国では、そう、なのか」
アンドルーは、決して張り上げているとは言えない声で、しかし視線だけは逸らすことなくハンターへと向けた。握り締めた剣は鞘からは抜かれていない。
けれども、すぐに向けられていた視線は彷徨ってから下へと逃げていく。
僅かな間の後、痛い、と全く痛くなさそうな声が落ちる。
「引っ張るな、将軍。髪が傷むだろう」
「髪を血で駄目にして、肩口から斬り払った男の言葉か。行くぞ、児戯の時間だ」
「虎よ、今度」
「無駄口を叩くな。遅れる」
「時間なぞ気にしたことがあったか?」
謝将軍は、范将軍の銀糸を指に絡ませて乱暴に引っ張ると、エミリーたちに背を向ける。髪を綱のようにして引っ張る謝将軍に、范将軍は抵抗することこそしなかったが、軽口を叩くことでその応酬を楽しむ。相方の声が弾むほどに、謝将軍は己の不機嫌さを自覚することとなった。
ちなみに、その後の試合の結果は散々だったことは言うまでもない。
嵐のような光景に口を挟むこともできず、エミリーとアンドルーはただ小さくなっていく二つの影を眺めることしかできなかった。
二つの気配が完全に無くなってから、エミリーは自身の前に立つアンドルーへと声をかける。
「クレスさん」
「あ、んたを庇ったわけじゃないからな。ただ、その、女を、ああいうふうに、見るのは、よくないと思った。それだけ、だ」
視線は合わない。
「クレスさん」
エミリーはアンドルーの背中にもう一度呼びかける。
呼びかけに応じて、視線だけがゆるりと動いた。
「白の騎士はとても手強いと、黒の仲間に伝えておくわ」
微笑みとともに告げられた言葉に、白の騎士は口をへの字に閉じて曲げた。