目には目を

 通電した。
 ジョゼフは溜息を落とす。
 ホワイトサンド精神病院に、祭司、占い師、機械技師はどうにも分が悪い。最後の一人は、医師だった。祭司と機械技師に翻弄されている間に気づけば、全ての暗号機を解読してしまっていた。
 壁を震わせる様な通電の轟音と共に内在人格で目が赤く染め上げられ、ちりちりと指先が疼く。
 この姿は好きではない。粗野で、凶暴で、品性の欠片も感じられない。好きではない。
 写真機を起動させ、写真世界に入ると遠い方のゲートへと瞬間移動へ飛び、写真世界から現実世界へ移る。逃亡者三人が固まっていた。ここぞとばかりに殴り倒す。扉の鍵を使わせる暇など与えない。
 あっという間に失血状態でうごめくサバイバーが三体出来上がった。阿鼻叫喚。
 起死回生の内在人格を付与している可能性があるため、まったく動かないサバイバーからは目を離さない。まず一人。立ち上がったところにとどめを刺す。次に二人目。一人目を始末しているのを隙と勘違いして、立ち上がった瞬間を薙ぎ払う。後もう一人はなかなか立ち上がらない。珍しく起死回生はつけていないようだった。
 苦しいのか呻き声がゲート前を埋め尽くす。
 傍に在った長椅子に腰かけ、オペラでも耳を傾けるかのようにジョゼフはゆっくりと目を瞑った。
「だめ」
 血反吐と共に吐き出された祭司の言葉にジョゼフは閉じていた目を一瞬で開く。
 無傷の医師がそこにいた。
「エミリー」
 待っていた、君を。
 最初に倒され、起死回生も吐いた祭司に手を伸ばしたエミリーを剣で払おうと、ジョゼフは剣先を振り上げた。しかし、エミリーはその一瞬を見逃さない。医師としての道具ではない。銃口が自身へとまっすぐ向けられたのにジョゼフは気づいた。
 しまったと思った時にはもう遅い。
 用心がねにすでにエミリーの指は入っており、引き金は容赦なく引かれた。
「がっ」
 発射された信号弾に正面から被弾する。
 煙に視界を奪われ、喉が焼けるように痛む。一人は救助可能だ。しかし残り二人は転がったままだとジョゼフは、信号弾の煙でやられた目で視界を取り戻したとき、誰も残っていない静かなゲート前に一人残されている事実に愕然とする。
 何故と自問し、気付く。
 占い師は起死回生を使わなかった。
 起死回生を持っていたのだ。彼は。使わなかっただけだ。敵がいる。ぎりぎりまで回復させておいて、エミリーの姿が見えた瞬間に最後まで回復し、信号弾が発射されると同時に回復を終え、もう一人の機械技師を回復させて逃げる。
 四人全員に逃げられた。まんまとしてやられた。エミリー・ダイアー。
 一撃で敵を沈める内在人格はすでに時間切れだった。
 廊下を曲がれば、通電前か通電直後に貼ったであろう遠距離ワープが壁に張り付いている。当然その先は反対側のゲートに続いていた。
 ジョゼフは反対側のゲートからサバイバーが全員脱出したことに気付いた。ああ、と長椅子に倒れこむ。
「ホワイトサンドはこれだから」
 信号銃の煙幕でやられた目が、ひどくしみて痛かった。

 ジョゼフは突き刺すような痛みに耐えていた。
 何がと言えば、原因は無論云うまでもなく、あの医師が放った信号銃の煙幕である。正面から防ぐ暇もなく被弾したものだから、大きく見開かれた瞳に煙幕やらなにやらがもろに入ってしまった。
 水で洗っても痛みが治らない。
 目を開けても閉じても痛い。
 久々の四逃げに、リッパーなどには盛大に笑われた。そろそろ引退なのでは、などとまでコケにされたのだ。
 なんと腹立たしい。
「ええい!」
 苛立ち紛れにこれでもかというほど力任せにテーブルを叩く。
「あの」
 背後の気配に全く気付かなかった。
 ジョゼフは体をびくりと震わせる。この声が誰なのか、ジョゼフは知っていた。
「目は、大丈夫」
 かすむ世界の向こうには、エミリー・ダイアーが救急箱を抱えて立っていた。
 ジョゼフの座る隣の椅子を引いて、エミリーは腰かけると、ジョゼフの瞳にかかっている白髪を指でそっとのけて耳にかける。
「勝つためとはいえ、顔面に向かって信号銃を撃ったのは悪かったと思ってるわ」
「自らが負傷させたものを治療するなど、愚行の極みだと思うがね」
 こんなことが言いたいのではない。
 舌打ちを口の中で殺して、ジョゼフは顔を背けようとした。しかし、それは小さな手が顔をはさむことでさえぎられた。思っていたよりもその力はずっと強い。
 ライトが目に当てられる。かすんでいるとはいえ、眩しさを感じて思わず顔を固定している手を払う。
「やめてくれ。眩しい。僕はいつまでゲームを続けなければならないんだ」
「目は洗った?」
「洗った。君が撃った信号銃の煙幕が染みて本当に痛い」
「まだ痛い?」
「ああ、痛いとも!角膜でも傷ついたんじゃないのか。視界もかすんでよく見えない」
 目が見えなくなったらどうしてくれる、とジョゼフは苛立ちを隠しもしない。
 その腹立ちに返事はない。
「エミリー・ダイアー?」
 言葉もなく手当だけを進めていく彼女にジョゼフはふと不安に駆られる。
「リディア」
「その名前で呼ばないでちょうだい。私はエミリー。エミリー・ダイアーよ。右目を開いて下を向いて」
 言われるがままに、下を向いて目を大きく開く。なにか硬いものが眼球を覆い、それと同時に上を向くように指示される。ゆっくりと上を向けば、目が水中に放り込まれる。
 わ、とエミリーの手を払おうとしたジョゼフだったが、瞬きして、と強制力を持った言葉に動きを止めて、何回も瞬きを繰り返す。そして再度下を向けば、器具が外され、右目の周りを清潔なガーゼで拭かれ、その後は左目も同じように水中に落とされる。
 痛みが若干引いたところで、再度上を向かされ、片目ずつ親指と人差し指で瞼をこじ開けられる。数滴、目薬がさされ、眼球に潤いが広がる。
 両目の治療が終わったころには、目の痛みはすっかり引き、視界もクリアになっていた。
 ちらりと横を見れば、救急箱に器具を片付けている、小さな姿がはっきりと映る。
「失礼するわ」
「待って」
 言葉少なく立ち去ろうとしたエミリーの手首をジョゼフは掴む。
「いやっ」
 真っ青な、驚くほど怯えた声が空気を切り裂いた。
 ジョゼフは掴んでいた手首を思わず離す。
 怯えきった表情。恐怖に震える肩。
「何も、しない。話を、聞いて」
「信じられるとでも?悪趣味な人」
 怯えに滲んだ侮蔑に、ジョゼフは怒りから眦を吊りあげ、立ち上がる。エミリーの体が委縮したのは見て取れた。
「白黒無常には耳を傾けるのに、僕の話は聞けないというのか!」
「な」
「ああそうか。深夜に密会してる仲だからね。中産階級の女なんて所詮そんなものさ。誰にでも股を開くあばずれめ」
 瞬間、頬に熱が走る。
 侮辱した相手は顔を真っ赤に染め上げ、屈辱的な言葉を浴びせられた激情で瞳は涙で潤んでいる。怯えなどではなく、怒りで全身を震わせ、エミリー・ダイアーは唇を血が滲むほどに噛みしめていた。
「なんて人!」
「き、君こそ!怪我人の頬をひっぱたくなんて、医師としてあるまじき行為だ!」
「訴えたければ訴えなさい!次に会った時には、その顔面に救急箱を投げつけるわよ!」
「この」
「治療はすんだわ。それだけ人を怒鳴りつける元気があるなら心配する必要はないわね」
 失礼します、とエミリーは背中だけで十分に分かるほど、盛大に怒ってその場を立ち去った。
 ジョゼフといえば、こちらもエミリー同様に憤慨し、腕を組んで乱暴に腰かける。
「なんて女だ!僕が下手にでてやったのをいいことに!」
 しかし。
 しかし、とジョゼフは少し頭が冷えて、口先を尖らせた。
 こんなことが言いたいわけじゃなかった。
 ああとだらしなく机に突っ伏す。
「違うんだ、エミリー・ダイアー」
 そうじゃない。そんな怒った顔が見たいわけじゃない。
 白黒無常の前に置かれていたティーカップを思い出し、僕もそれが欲しかっただけなだとひとりごちた。