00:前方不注意要注意 - 3/5

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 目を覚ませば、ずるりと体から毛布が落ちた。安ホテルの毛布は薄っぺらいが、それなりの防寒は果たしていたようだ。
「おはようございます」
 名も知らぬ女は髪を拭きながら笑ってそう言った。シャワーを浴びた後なのか、良い香りがする。
 男が部屋にいてシャワーを浴びるということはそういう気でもあるのかと勘ぐったが、次に出てきたのが水飲みますかの一言だったのでそれはないかということになった。
 起きたての体は乾いていて、喉が水分を欲しがった。渡された水をごくりと喉に通す。生ぬるい水が食道をどろどろと通って胃に落ちた。
 女の服装は寝巻きとは程遠い、普通の服装だった。敢えて違いを述べるのであれば、下がスポーツ用の伸縮性があるものに変わっていることくらいだ。
 どれくらい寝ていたのだろうかと思いつつ、時計を探したが部屋にはない。
「六時前ですよ」
「…そうか、邪魔したな」
 のっそりと椅子から立ち上がって女に礼を述べる。待遇は勿論今までの自分の経験から言って最低ランクだったことは間違いないが、そもそも期待はしていなかったので気にならない。
 女は下までXANXUSを送った。
 外に出るとひんやりとした風が肌にあたって寒いのか一つ震えた。肩にかけてあるコートを貸してやろうかとも思ったが、自分が寒いのでやめる。どちらにせよ、女の部屋はこのホテルだし一歩下がれば暖をとれる。
「マフラー有難う御座いました」
濡れた髪が後ろに一つに流されている。それがやはり寒そうに見えた。いや、と一つ返事をして背を向けようとして、耳障りな声がする。
「う゛お゛ぉお゛い!!ボ――――――…」
 ス、といつもならば続く言葉が続かず不思議に思って振り返りかけ、自分のすぐ横を通った刃に気付いた。それは間違いなく女を切裂くためのものだ。XANXUSは半ば反射的にその腕を掴み、スクアーロを蹴り飛ばした。
「う゛お゛おぃ!何しやがんだボス!」
「テメェこそ何してんだ、このどカスが」
「そいつはなぁ、さっき俺と斬り合ったやつだぞぉ!」
 嘘のつけない性質はよく知っているので、XANXUSは眉間に皺を増やす。
「その長い黒髪、見間違うわけがねぇ…。しかも日本人だぁ」
 スクアーロの言葉にちらとXANXUSは女の方を向く。けれども女は目をただ丸くしていていた。ここで腰を抜かさないのは一体どういうことだろうかと思う。
「俺は嘘ついてねぇぞぉ!」
「黙れ、カス」
 XANXUSはそこで女の方を向く。大きな黒縁の眼鏡がかたんと動き、女はそれを直す。それからゆっくりと女の口が開いた。音がでるのを待つ。
「…お知り合いの方ですか?」
「いや、知らねぇ」
「う゛お゛お゛ぉい!!」
 素気なく言えば、スクアーロは過剰に反応して立ち上がった。これ以上ここにいるのも面倒だと思い、改めてその場を立ち去ろうとした。ちょどその時声が響いた。
「姉貴!!!」
「あ?てめぇ!!てめぇだぁ!!」
 暗がり中から姿を現したのは一人の男だった。後ろの黒髪をひらりと揺らして高い位置から飛び降りて三人の前に降りる。スクアーロはその姿を認めて、濁音の激しい声で指をさした。
「てめぇ、さっきは良くも逃げ出しやがったなぁ!」
「姉貴、探したんだ…帰ろう」
 男はスクアーロを完全に無視してXANXUSの後ろに立つ女に近寄る。女は笑顔を顔から消して視線を下に落とした。そして面を上げた。
「修矢、絶対に帰るから。お願い」
「…姉貴、そんなに嫌なら俺が親父に言って…」
 全く話が読めない。
 スクアーロは無視された怒りも手伝ってか、いい加減に痺れを切らして男のその長い黒髪をひっつかんで引っ張った。するとぱちん、と音がしてそれがずるりと落ちた。それにスクアーロはう゛ぉぃい!!と慌ててその手を放す。長い黒髪が落ちて項よりもずっと短い髪が現れた。色は同様に黒だったが。
 修矢と呼ばれた男は振り返りスクアーロをぎろりと睨みつけた。
「アンタ、関係ないならすっこんでろ!!」
「ぅぉぉお゛ぃ…いや、お前…か、髪…」
「うろたえてんじゃねぇよ、どカス。ただのヅラだろうが」
「!ぉお゛い、そうかぁ。そうだよなぁ」
 それに狼狽していたのは誰だとその頭を変形するほどに殴ってやりたい気持ちに駆られたが、XANXUSは今ここでは事が面倒くさいと思い止めた。女は困ったような顔をして現れた男を見ている。
「それは…いいの。ここまで育ててくれたお父様に仇を返すような真似はできない」
「でも…いや、そんな話は今はいい。ともかく帰ろう、姉貴」
 そう言って修矢は女の腕に手を伸ばした。だが、その手は宙で止まる。ざらざらと揺れる黒い隊服。人を射殺す赤い瞳。
「アンタ、一体何なんだ。関係ないんだから黙ってろ」
「関係?人の女勝手に連れて帰るんじゃねぇよ」
 じろと睨みつけたXANXUSに修矢は慌ててその後ろにいる女に目を移す。
「!おん……あ、姉貴!?」
「え、あ…?え」
 女は状況についていけないようで、まともな単語も言葉にできていない。そこにスクアーロが驚いたように発言する。
「う゛お゛おぉい、そうだったのかぁボス?それならそうと早く言えよぉ」
 いらない発言をする前にこの場で気絶させた方が良いことに気付いて殴り倒す。痛みで悶絶している間は発言はできまい。
 XANXUSは男から女を隠すようにして立つ。そして視線をさらに強めた。
「そう言うわけだ、とっとと帰れ」
「…姉貴から離れろ」
 そう凍えるような声で言って修矢は背にかけてある刀の袋に手をかけた。スクアーロが痛みに悶絶しながらもそれを目にとめて、顔を輝かせた。
「俺の出番だなぁ!!」
「修矢!!」
 喜びに立ち上がったスクアーロだったが、すぐに女の上げた声によって男の動きは止まる。そして、しぶしぶと言った様子で袋にかけていた手を離した。
 女は声を和らげて、もう一度男の名前を呼んだ。
「帰るから、絶対に帰るから」
「姉貴………東眞、帰ろう」
「もう少しでいいから…お願い。そしたら、帰るから」
 東眞、という名前なのかとXANXUSは今更ながらに女の名前を知る。名前を聞かれなかったし聞かなかったから知らなかった。 しかし修矢は引き下がらない。
「駄目だ、姉貴。姉貴の不在を俺だけではこれ以上隠し通せない。親父にばれたら折檻なんかじゃ済まないかもしれない。姉貴、頼むから」
 懇願するように頼む男に女は首を横に振った。
「親父もそろそろ勘付く頃だ。俺が一番初めに気付いたから運が良かったんだ!」
 それに、と修矢は東眞の前に立つXANXUSを下から睨みつけた。その視線にぴくりとXANXUSの表情が歪む。
「こんな男の傍に居たってどうにもならない――――分かるだろ?」
「この人は、
「さっきから聞いてりゃ言いたい放題じゃねぇか、カスが」
 何かを言いかけようとしたそれを言葉で押しつぶす。XANXUSの手が修矢の胸倉を鷲掴みにした。ぐ、と修矢の両足が持ち上がり、そのまま体が放られた。
「!」
 前に出ようとした東眞をXANXUSは片腕で制す。がらと音がして修矢は積んであった木箱の中に突っ込んだ。
「俺に勝てるとでも思ってんのか?カスの分際で」
「…姉貴、必ず連れて帰る。もう俺は待ってられない」
 それだけ言って男はざっとその場を後にした。スクアーロがその後を追ったがどうせ捕まえられないことなど目に見えている。首筋をがりとかいていると、後ろからおずおずと女の声がした。
「あの…ご迷惑かけてすみませんでした」
「……荷物持ってこい」
「は?」
「荷物持ってこいっつったんだ。とっととしろ」
 急げ、と苛立ちを含めて言えば、女ははい、と慌てた様子で返事をしてホテルの中に入っていった。