00:前方不注意要注意 - 2/5

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 書類、酒の入ったグラス、そこに一つ不釣り合いな淡いベージュのマフラー。
 スペルビ・スクアーロ、XANXUSの右腕、もとい八つ当たられ役の剣帝を倒したと名高い男はそれにぼけっと見いっていた。それがあまりにも不釣り合いだったからだ。
「う゛お゛ぉおい、ボス」
「何だ、カス」
 机の上に足を放り投げたその状態で書類をめくりながらXANXUSはそれに答えた。スクアーロは少し躊躇ったその後に非常に言いづらそうにそれを聞いてみた。
「そのマぶっ!」
 鈍痛を側頭部に食らいその後は上手く言葉にならない。頭にかかった酒はぽたぽたと髪を伝って床に落ちた。
「汚ねぇ、掃除しとけ」
「てめぇがぶつけたんじゃねぇか!!理不尽な事ばっかい……や、やるよ、やりゃぁいいんだろ!!」
 鋭い目つきに睨まれてスクアーロは言葉を詰まらせてから、ガラスを片づけ出した。XANXUSはそんなスクアーロを完全に無視して机の端に畳んであるマフラーに目をやり、手に取る。
 そしてふと立ち上がり、文句を言いながら床を片付けるスクアーロを綺麗に踏んづけてから歩き出した。
「う゛お゛おぉい、何処行くんだぁ」
「出かける」
「一人で出掛ける気かぁ?待てよぉ、ボス!」
 スクアーロは慌てて片付けを適当に済ませて立ち上がると、その背中を追った。

 

 長めの髪を後ろで一括りにして一人の人間が街中を歩いていた。背中には長めの何かが入った袋を背負っている。近寄りがたい鋭い雰囲気。がつがつと石を踏み鳴らしてその人は歩く。夕日が眩しいのかきゅ、と眉間に皺を寄せている。そして何かを探しているように時折立ち止まっては辺りを見回していた。
 黒眼黒髪の人は、はた目から見ても日本人だった。その背中に声がかかる。
「ジャッポネーゼ?」
「…」
 人は返事をしない。そして声をかけた人間を無視してまた歩きだす。しかし声をかけた男はその人の肩を掴んで行かせまいと止める。
「触んな」
 人は初めて声を発した。その声から男だということがようやく分かる。
 肩を掴んだその手を振り払う。掴んでいた男はどこからともなくナイフを取り出して向ける。何かイタリア語で叫んでいるが、男にそれは理解できない。
だが男は深く深く溜息をついて、その背負っているものに手をかけた。そして袋からそれを引き抜く。それは刀。鞘に手を添え、一瞬で刃を外気に晒す。そしてそれをナイフを持つ男の首に一瞬で添えた。
「消えろ」
 殺気ともよべるそれを身にまとい凄めば、男は引き攣った声をあげておたおたとその場を逃げ出した。残された男は刀を鞘に納めてまた袋に戻そうとした。が、戻そうとしたそれを再度抜き放ち、上に掲げる。その刃の上にずしりと重い歯が乗る。
 視界を遮るのは刃の色を思わせる銀色。
「ちっ」
「う゛お゛ぉお゛おい!てめぇ、何もんだぁ?」
 日本語で話しかけられて、日本語で男は返す。
「アンタに用はない」
 乗せられた刃を振り払い、男は現れた男と距離をとる。
 何時の間にかすっかり日が暮れて、辺りに落ちるのは静寂ばかり。しかし二人の間にあるのは張りつめられた緊迫感。風に月の下の銀糸が揺れた。銀の男は至極楽しげに笑っていた。
「ボスを見失ったと思ってたけどよぉ。こんな面白そうなモン見つけられられるたぁ、俺も運がいいぜぇ」
 そう言って男は目にもとまらぬ速さで突進してきた。男は振られた刃を持っていた刀で防ぐ。重いその動きに体がふわりと浮いた。
「ぐっ」
 そしてそのまま振り切られる様にして身体が飛ばされる。しかし、壁に当たる寸前にすこし体の向きを変えて着地するような姿勢をとる。それから足のばねを使うようにしてだんだんと上り、屋根の上に立つ。
「アンタに構ってる暇はないんだ。あまり、騒ぎも起こせない」
 そう言うが否や男はあっという間にその場を後にして、何も残さなかった。
「逃げるのかよぉ!う゛お゛ぉお゛おい!!」
 男がそう叫んでも返事はない。
 一人残された男は折角の勝負を放棄されたことに怒り壁を蹴ったものの、当初のボスを追うという目的を思い出して慌てて駆けだした。

 

 XANXUSは昨晩の安ホテルの前に来ていた。手にはベージュのマフラーが一つ。今日は風も冷たくないので寒くはない。返しに来ただけだと思いつつ一歩階段を上る。その時に遠くから声がした。そしてその声は次第に近くなり、暗闇の中の姿もようやっとはっきりとしてくる。
 吐いた息を白くしながら女は笑った。顔にはやはり不釣り合いな大きなダサい眼鏡。
「昨日の」
「またうろついていたのか」
 返すだけのつもりだったのだが、いらない言葉がつい出てくる。女は茶葉を買ったら道に迷ってと困ったように笑った。
「もしよかったら飲まれますか」
「…」
 酒の方が体が温まるのが早いと思ったが、なぜか不思議と頷いた。
 小さな部屋に案内されてそこに入る。男をこの時間に入れるとは馬鹿にも程があると思いつつ、椅子に腰かけた。何とも薄くて座り心地の悪い椅子。
 女は今日髪を上で一つに団子のようにしていた。
 紅茶が入ったのか、また安物のカップに入れて差し出された。飲めばそう不味くもない。安物の茶葉でも淹れ方次第では飲めるものにもなるようだ。
 XANXUSは懐に入れてあるマフラーをいつ出そうかとそのタイミングを計る。我ながらくだらないと思いつつも、紅茶を飲みながら何も言わなかった。
 女は机の上にこちらも見るからに安物のクッキーを出す。お茶うけのつもりなのだろうが貧相にも程がある。
「よかったらどうぞ」
「…」
 言われて一つ手に取り食べてみる。ぼそぼそしていて美味しくない。茶を一緒飲めば色々と誤魔化せるような味だ。
 女は相変わらずにこにこしていて自分でも茶を飲んでいる。飲み終わったカップをXANXUSが差し出せば、女はどうぞ、と一言言ってもう一杯注いだ。
「どうなさったんですか」
そう切り出されてようやくマフラーを突き出す。
「返しにきた」
「…わざわざ有難う御座います」
 酷く驚いたようすでそう言ってから、朗らかに笑った。眼鏡の奥の目が細められて微笑み、突き出したマフラーを受け取った。  部屋を眺めながら分かることと言えば、どうみても旅行者ということくらいだ。片隅に置かれているボストンバッグの中には洋服が入っている。  そろそろ帰ろうと腰を上げようと思ったが、だんだんと眠くなってきた。睡眠薬かと思ったのだが、そうではないと体が告げている。暖かいこの部屋と、のんべりとしたこの女が原因だと言うのは分かった。ただ座り心地の酷く悪い椅子だけには文句をつけたかった。
 退屈すぎる日々に少しだけの変化を求めて、目を瞑った。