大馬鹿もん - 3/3

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 手袋を嵌めた手でドアを押し開く。中の白いベッドシーツに埋もれていた坊主頭がドアを向く。スモーカーは相変わらず人を小馬鹿にするような笑みを顔に浮かべた男へと手に持っていた見舞いの品を机の上に置いた。自分の隊の曹長が見舞いに行かれないんですかと口喧しく言うものだから、それから逃れるようにして訪れたスモーカーだったが、男の、ギックの顔を見た瞬間、180度方向を転換して即座に帰ってしまおうかという衝動に駆られた。この男と付き合うと全くろくでもないことしか降りかからない、のは、周知の事実である。
 品を机の上に置いたスモーカーにギックは軽く笑って問いかけた。
「いやいやいや、これはこれは!まさかスモーカー大佐殿がいらして下さるとは!おれも昇進したものですネェ」
「生憎だが、てめぇの階級は中佐のままだ」
 思わず反射的に応答してしまい、スモーカーはしまったと自己嫌悪に陥る。しかし、口から出てしまったものは取り返せない。会話の口火を切ってしまった以上、全くどうしようもないのである。
 ギックは呻いたスモーカーを眺め、してやったりとばかりににたにたと人を食った笑みを口元に添えた。
「おかしいです。大佐殿」
「…何がだ」
「水着姿のたしぎ曹長が同伴されておられないのですが…見舞いの品でしたら、そちらの方が大歓迎です」
「いねぇよ」
 何故水着姿と限定しているのかを問い詰めれば、泥沼にはまってしまうような気がして、スモーカーは否定だけを口にした。仮に本人がその姿で見舞いに行きたいと言ったところで連れてくる気など毛頭ない。玩具にされるのは御免である。
 スモーカーの返答にギックはそうですか、と至極残念そうに項垂れた。
「ビキニであの豊満な胸に果実を挟んで頂きまして、それをおいしく頂くと…おれもすぐに元気になれると思ったまでなのですが」
「一生ベッドに括りつけられていろ」
「まぐろ状態での優しい看護師からの治療も無論楽しくありますよ?」
 ベッドの座る男の頭の中が心配になりながらも、スモーカーは葉巻をへし折らない程度に噛んだ。この男と話をしているととても疲れる。それはもう、大層。
「スモーカー大佐殿。おれ、海賊が好きじゃないんですよ」
「ああ?」
 突然がらりと強制的に変えられた話にスモーカーは片眉を吊り上げる。視線は男の手元に向けられており、その手には見開きで裸の女が躍っていた。ポルノ雑誌を見ながらする話でもないように思う。しかし、ギックは気にすることなく話をつづけた。
「どうですか?大佐など。可愛くも女らしくもありませんが、今ならお安いです。なかなか魅力的な格安物件だと思いますが」
「…訳の分からねぇことを」
「いやぁ、大佐殿なら悪くないと思いますよ?おれとしては。粗暴で上の言うことを無視して、己の信念だけを生きる。まさに!大佐にぴったりじゃないですか」
 言葉もない。
 スモーカーは煙を口から吐き出した。
「それならもっと将来有望な男でも見繕ってくるんだな。あいつをそういう目で見たこたぁねえし、仮に見たとしても惚れねえよ」
 無理な相談だとスモーカーは葉巻を吸い込んだ。煙を吐き出しながら、話題に上っている女の背を思い起こす。ヒナであるならばまだ兎も角、あの女だけは御免被りたい。それ以上に、あの大佐階級の女には女として以前に、人間であるのかどうかさえ、スモーカーには理解できなかった。時折感じる、まるでそう、死人のような気配と目を、猟犬のように嗅ぎつけて知っている。
 スモーカーも言葉にギックはそうですかねぇと首を傾げた。これだけ無駄口が叩けるならばもう退院してもよいのではないだろうかとスモーカーはちらと頭の隅でそう思う。
「年齢的にも望ましいと思うんですが。三大将や中将方は少し大佐とは色が違うと思うのですよね。玉の輿狙うならば、三大将が狙い目でしょうけど…クザン大将が一番年が近そうですが、あの人は、大佐向きではありませんしねぇ」
「いっそ海賊に嫁いだ方がいいんじゃねぇのか」
「おれ、海賊好きじゃないんですよ」
 ほつんとそこで会話が最初の時点に戻される。別にとギックは続けた。
「サカズキ大将のように、全部が全部悪だなんて思っちゃいません。あんな人権すら剥奪したような物言いは、おれは好きじゃない。まあ、海軍の絶対正義を究極的に突き詰めればああいう思考に行きつくことかとは思いますよ。尤も、大将殿の過去に何があったかは知りませんので、それで全てを否定するなんて程おれは傲慢じゃぁありません。あの方には、あの方なりの正義があるんでしょう。正義の形はそれこそ千差万別だ。ただ、『海賊』という括りで市民がそれを見た時に、恐ろしいもの、奪うものという思想が根幹にあるのも嘘ではないでしょう。それは否定できない。だからこそ、海軍は市民の精神的平穏も守るために海賊を駆逐するという働きを示しているのも、理解します。おれもそのために海兵になった。大佐が言うような、自由と宝を追い求めるだけの、一種平和的で無害な、漁師…そうですね、この場合は捕るのは魚ではなく金銀財宝なわけですが、海賊だけではない。むしろ、そうである海賊の方が希少であるでしょう。なにしろ、そういう人間たちは記憶に残り辛い。何しろ何もしないでいるならば、ただの通行人、旅人に過ぎないのですから」
 そうでしょうと薄くギックは笑う。それにスモーカーは煙を吐くだけにとどめた。
「実質的被害がなければ、海賊を捕縛しようなどという組織すら成り立たなかったわけです。にも関わらずおれたちがあるのは、実質的被害を及ぼす海賊があるからだ。今あなたが追っているという麦わらの一味も、まぁ、そう、似たようなものでしょう。あなたの言葉は、おれはよく分かります。あなたが海兵で、彼らが海賊であるから。追うのでしょう?彼らが一体何をしたかなど問題ではなく、彼らが海賊であることこそが問題なんです」
 だからどうした、とギックの言葉を遮らず、スモーカーは葉巻をすぱと吹いた。
「気さくな連中も、いますけどね。そういった奴らと語らうのはなかなか面白い」
「おい」
「いやいや、まあいいじゃありませんか。一番の問題は、彼らが海賊であるということを無駄に主張し、市民の平和を脅かすことにあるわけです。そうでなければ、彼らは先程も言いましたが、一過性の旅人と大差ない。無論、持論ではありますが。海で会えば、彼らは言うまでもなく海賊旗を掲げた、ええ。海賊旗そのものが恐怖の象徴なわけですから、海賊ですし、戦いますとも。でもね、陸に上がった海賊と顔を合わせる度に剣を無暗に交えるほど、おれもとげとげしいわけじゃありません。そのあたりは大目に見てください」
 もともと手を焼く人種であったのに、さらにややこしい人間に変わっている。スモーカーは女の統率する部隊が多少心配にもなったが、仕事は仕事でこなしている女であるので文句は言えない。それに、それについて言及するほど、ミトとスモーカーは親しいわけでもなかった。
「ですから、おれは止めてほしいんですよ」
「あ…ああ?」
 話の展開についていけず、スモーカーは葉巻の煙をくゆらし、眉間の皺を一つ二つと増やす。
「嫌ですよねぇ。いくら政府の味方であるとはいえ海賊なわけですから」
 ドンキホーテ・ドフラミンゴのことだろうかとスモーカーは首を傾げたが、どうやら少し違うようで、ギックの話は続く。
「友達ですって。別に交流関係に口出すつもりなんてないですけど、ねぇ。でも、友人であることで、根も葉もない陰口を叩かれて、それを平然と受け止めて。全く割に合いません。どう考えたって、友人の存在は、大佐が海兵であるにあたって邪魔なものでしかないのに。どうしてでしょうか。頭脳明晰成績優秀なおれでも、この謎は解けそうにありません。なにより」
 なにより、と女の上官を持つ部下は最後に一言零した。
「海賊になってしまいそうで」
 あの人が。
 なぁんて。ギックは顔を上げ、にっこりとスモーカーに微笑みかけた。打って変った調子の男にスモーカーはぎょっとさせられる。まるで先程のことが演技であったか、それともはたまた己の夢であるかのような錯覚に捉われた。
 しかし、その次に耳に飛び込んだ男の声質に顔を顰めることとなる。一言。
「おれ、海賊好きじゃないんですよ」
 そうかとも、ああとも答えられず、机に置いた見舞いの品の林檎の赤だけが、視界の端にやけに毒々しく映って見えた。