初めてはどこだったの。
他愛もない一言は誤解を生む一言でもあったが、刀の主は正確に意味を汲み取った。
「薬局だ」
薬局、と刀は繰り返した。
毒のせいで声の張りはないが、その響きはひどく懐かしむもので、顔布で目元が見えなくとも、布越しに見える口元は優し気に綻んでいた。
笹舟が生理になった。
ぐずりながら、私は死んでしまうのでしょうかとわずかな性知識も持ち合わせていない、否、そう言えば身を守る術と戦闘技術しか叩き込んでいなかった、小さな妹弟子はそう嗚咽を零し、世界の終末を迎えたかのように落ち込んでいた。
馬鹿と言葉を詰まらせた。
そもそも知識として教えていなかった自分にも非はある。
「病じゃねえ。そりゃ、ガキができるようになった標だ」
するとこんどはお腹が痛いとぐずり始める。
あにさまは私を気遣ってそのようにと言う。
生理痛なるものは未経験故に、経験があってもそれはそれで恐ろしいが、人によっては大層痛いものだと聞いていた。
見れば、笹舟の顔は紙より白いし、吐く息も細く頼りない。日頃から頼りないがさらに頼りない。
「それは生理痛だ。痛いモンなんだ…人に、よるそうだが」
最後はどうにも怪しい。だから大丈夫だと繰り返す。
そうして布団に入って体を温めておけと言うと、血で布団が汚れると泣く。
見れば、裾から覗く踝から血が一筋二筋と床に落ちている。出血多量で死ぬのではないかと疑いたくもなる。
女は偉大だ。
「そんなら、いくらか布でも敷いて下に染みないようにして、布団にくるまってろ。繰り返すが病じゃねえ」
本当ですか、あにさま。信じてよいのですかと唇を噛みしめ、見上げてくる。
布越しでも、その不安は色濃く伝わる。
「しつこい。兎角、俺は買い物に現世に出るから、大人しく布団にくるまってろ」
そう突き放して、身支度を整え現世へ発つ。
振り返れば、政府の役人に一言二言言えば準備をしたのであろうが、恥ずかしいことに気が動転していたのだと今であればよく分かる。
その手の類は確か薬局にあったはずだと店の扉をくぐる。
入ったはいいが、何が必要かわからない。さっぱり、分からない。
理解しているのは、生理という現象であって、それの対応策ではない。困った。
とりあえず、薄手の下着では血が防げぬとおむつの方へ行く。
しかしどれもそぐわない気がする。
おむつの横に不思議な形をしたものも売っていたが、全く用途 がわからない。手に取り、裏面を見てようやくそれが生理用ナプキンだと知る。
便利なものもあるものだと感心したまではいいがやたらと種類に富んでいる。昼用だか夜用だか多い日昼用だとか、しっかりガードなど全く、指先ほども理解できない。昼も夜も一緒じゃないのかと棚を蹴り付けたくなる。
その隣に視線をずらせば、おそらく生理の時に使うであろう下着もあるが、これも色々な種類がある。
なんだこれは。
すべてを放り投げたい気分に駆られた時、背中から声がかかった。
どうかしました。
女の声である。頭一つ分は低い。振り返った時、一瞬視界に入らなかった。
「あ、いや」
「難しい顔をして悩んでらっしゃるから」
難しい顔で済む顔つきではなかった気がする。
「…妹が、生理になって」
優し気な面立ちにぽろりとこぼす。
「あら、それはお祝い事ね」
「何を用意してやれば、いいのか。腹も痛いと」
「あらあら、男の方では分からないでしょう。これと、えぇと」
そう言って、その女性は茫然としている自分を放置して、次から次へと生理用品をかごへと放り込んだ。
「お薬は、お店にいる薬剤師さんに聞いてから買いましょう」
あれよという間に必要なものは全てそろって、使用方法までご丁寧に紙で描いて中に突っ込んでいた。
「…すみません。有難う、御座います、助かりました」
「いえいえ。妹さんとお二人なの?」
「まあ、そんなモンです」
「なら、もしまた何か聞きたいことがあったら、連絡くださいな」
連絡先だといって、紙を渡される。
「いや、そこまでしてもらうわけには」
「困ったときはお互い様。私が次に何かに困っていたら、頼らせてください」
「はあ…。では、有難く頂戴しておきます」ど
うも、と頭を下げた。
連絡することなど、おそらくこの先ありはすまい。頭の悪い考えかもしれないが、どうせ住む世界が違う。
帰らなければと踵を返した時、背中に声がかかった。
「八重!」
ひら、と白い手が元気いっぱい振られる。
「八重、ですよ。お兄さん!」
ひらひらと手がモンシロチョウのようだった。
離れた距離を相手は詰めなかった。
自分の真名を、相手に伝えることはまずない。それがたとえ一般人であっても。
「矢間、です」
少し声を張り上げる。
「有難う」
すっと、声が胸から出た。礼に、相手が朗らかに笑る。また、と声が高く伸びた。
帰って、布団にくるまった笹舟の第一声は、あにさま、いいことありましたか?だった。
てめーのせいでさんざん恥をかいたと頭を小突いた。
それで、と続ける。
結局連絡は取ったの、と刀は茶を淹れながら問うた。
出された茶に口をつけ、乾いた喉を湿らせながら、主は答える。
「世話になったら、菓子折りの一つでも渡さにゃならんと思った」
「で、最終的にやり取りをする間柄になったんだ」
「…別に不純な動機があったワケじゃねーよ。ただ、礼はするのが道理だと、そう、思っただけだ」
素直じゃない。全く素直じゃない、と刀は思った。
しかし口には出さず、茶菓子食べられる?と生菓子の乗った皿を主に差し出した。