どうも、お久しぶりです - 1/3

1

 裸足が冷たい石を叩く音。
 ここ、LEVEL6に来る囚人はとても少ない。そうそう沢山居ても困りものだが。ひたりひたりと囚人の落ちた足音と、看守とマゼランの重たい足音が同時に響いて来る。男の囚人に周囲の反応は薄いものかと思われたが、それはミトの大きな勘違いであった。別の意味で、監獄内がざわつく。
 足音が止まる。ミトは胡坐をかいていた足に落としていた視線を上げた。何故ならば、自身が捕えられている牢の前でその足音が止まり、かつ重たい海楼石製の扉が開けられる軋んだそれが耳触りに響いたからである。
 そしてミトは、目の前にいる男に目を瞬いた。
 そこに居たのは、そばかすが目立った笑顔の良く似合う男だった。黒ひげティーチを追い駆けている時、それからその前、白ひげ海賊団の船に乗っていた時の彼をミトは知っていた。ミトの前方に、項垂れた男は両手を高く上げられて戒められる。力なく座りこんだその男にマゼランも看守も何も言うことなく、静かにその場を去って行った。
 ざわつきが静かに収まりを見せて行く。
「火拳」
 ミトは隣に座った男の名前を口にした。正しくは、彼を表現する名前の一つを口にした。項垂れていた男は、その驚きを孕んだ声に反応して沈んでいた瞳を持ち上げた。そして暗く淀んでいた瞳は、女の姿を認識して、何故と言わんばかりに大きく見開かれた。動いたことで、じゃらりとその海楼石の手錠が壁を叩き、音を立てた。
 二人しかいない牢屋の囚人は、お互いとも似たような姿勢で捕らわれていたが、違いを一つ述べるのであれば、男と女の服装であるだろう。女は横に引かれたモノクロのラインが目につく囚人服を身に纏っていたが、一方、男は外からの服装を着替えさせられることなく、血まみれの状態で体を繋がれていた。
 お前、とエースは目を大きくしたまま驚きをそのまま言葉で表現する。
「海兵が何でこんなところに」
「何でと言われれば、お前ほどの使い手が何でこんなところに?」
 その返しに、エースは眉間の皺を深くして黙りこんだ。失言だったか、とミトはそれ以上の詮索を止め、先程自分がされた質問にかいつまんだ返事をする。
「目的を果たしただけだ」
「答えになってねえ…おい」
「何だ?」
 エースは口を僅かに開けて言葉を紡ごうとしたが、それを躊躇って、そして止めた。おれを、と言いかけたように見えたのだが、エースはその代わりに、何でもねぇと首を軽く横に振り、項垂れ、地面を睨みつけることで終わる。
 酷く疲れたその様子は、少し前の自分を思い起こさせるようで、ミトは何ともなしにそれから視線を離した。唯一つ違うのであれば、彼は死を望み、自分は死すらもどうでも良いと思っていたことだろうか。目的を失い生きるべき意味を失い。海に帰りたいと望む。今もこうやって生きているのは、生が惜しいからではなく、死ぬことに対しても同じように意義を見いだせていないからに他ならない。
 今もなお心の中には大きな穴が空いてしまっている。どうすれば埋まるのか、少しも分からないその穴は、ただ胸の奥に存在しているだけのものである。自分などと一緒にしては失礼か、とミトは自嘲を混ぜた笑みを口元に浮かべた。
「…だが、お前がここに来たと言うことは、外はかなり大変なことになってそうだな。息子を奪われた白ひげの怒りは、想像を絶するものがある。戦争に、なるぞ」
 ミトの言葉にエースは歯をぎりぎりと食い縛って、唇を噛んだ。横から見ても十分に苦しげなその表情は言葉にし辛いものがある。エース、とミトは海の男の名前を呼んだ。
「死にたいのか」
「…オヤジの…、足手まといになるくらいなら」
「白ひげは…動くだろうな」
 今となっては、とミトは両手首を壁に戒められた状態で軽く鎖を打ちならし、口元を小さく歪めた。
「この状態では、お前のそれを斬って逃がしてやることもできない」
「お前は海楼石まで斬れるのか」
「私に斬れないものなどないさ」
「大した自信だ」
 ようやく多少疲れは見えるが、口元を笑わせたエースにミトは目を細めて緩やかな笑みを口元に添えた。そして、ああとミトはそれに続ける。
「麦わらのルフィに会ったよ」
「…ルフィに?」
 視線が上がり、エースはミトを見た。ミトはああ、と穏やかに笑い、海を奔る海賊をその脳裏に思い浮かべた。目を閉じればいつでも思い出すことができる海の中に、彼らは存在していた。潮風の匂い。
「面白い一味だったな。あー海賊狩りのゾロには喧嘩を売られたか。剣士と見れば喧嘩を売りたくなる性質なのかな。お前の弟なだけあって、良い、海賊だ」
「…だろう。おれの弟は、最高だ。あいつはまだまだ弱いけど、それでも、おれの一番の、自慢の弟だ。でもあいつは」
 あいつは、と語り始めたエースの弟話にミトはゆるりと耳を傾け、訪れた僅かな緩やかな空気に表情を穏やかなものにした。